演劇ノンタス

雑記ブログ

台風すごかったサー

 

朝、出社したら、Aさんが指に包帯を巻いておった。

「どうしたんですか? その指」ときいたら、「昨日、台風が来たやんか。雨戸を閉めてる最中に、ガシャーンと挟んでもうたんや」と答えた。

 

「うわー。めちゃくちゃ痛そうですね」と言うと、Aさんは「このオレに、こんなキズを負わすとは・・。ほんま、今回の台風は、けた違いの凶暴ぶりやった」と、ぬかしおった。

 

いやいや、そのケガは、ただの不注意で、台風の被害にカウントされんやろと思った。

 

昼。休けい室でテレビみていたら、ロケで、ごっついデカいパフェが出てきた。

 

クッキーやらチョコレートやらアイスクリームやらフルーツやらが、これでもかとばかりに、盛りつけられておった。

 

「うわー。あんなん、どうやってたべたらええのか、わかりませんね」と言ったら、課長が「そんなことも知らんのか。まず、口の中に含む。そのあと、上の歯と下の歯で噛む。そして最後にゴクンと飲み干すんや」と、僕に説明した。

 

アホに話ふるんやなかったと後悔した。

 

夕方。妹から電話があった。

 

「昨日の台風、すごかったサー。気象庁が『過去最強クラス』と発表したとき、まさかやーと思ったけど、戸がバッタンバッタンなって、デージこわかったサー。ニーニーは、だいじょうぶやった?」と、妹はなぜか沖縄の方言をつかって、一方的にまくしたてた。

 

ちなみに妹はコッテコテの関西人で、沖縄に住んだことはおろか、行ったことすらない。

 

考えられる理由は一つである。

 

「おまえ、『ちむどんどん』みてるやろ? 影響うけすぎやで」

 

僕がそう言うと、妹は「ちむどんどん? そんな沖縄出身のヒロインが一流の料理人を目指して、上京するドラマなんか、みてないサー。ヒロインが開いた店が、最近、ようやく軌道に乗り始めたことなんて、ぜんぜん知らないサー」と、ほざきよった。

 

100パーセントみてるやないかいと思った。

 

以上、今日の僕の出来事。

 

手帳にメモった事をまとめて、ブログにアップしてみたサー。

 

 

 

今週のお題はてな手帳出し

墓参り代行はアカン

 

今週のお題「冷やし◯◯」

 

お盆。妹が子供を連れてうちに来た。

 

以下、妹の漫談。

 

「今日は、タカシ(ダンナの名前)の所のお墓参りする予定やってんけど、タカシに急に仕事はいったから、中止なってん。

 

けど今、めっちゃコロナすごいやん。ほんまは行きたなかってん。

 

去年もなあ、タカシに『墓参り代行を頼もうや』って、提案したんや。

 

そしたら、タカシ、めっちゃキレてなあ。

 

『そんな赤の他人に頼むなんて、ご先祖様に失礼やろ! 何考えてねん!』って、怒鳴りよってん。

 

完全にDVや。

 

そのくせな、去年、墓地についたとき、タカシのやつ、なにしでかした思う?

 

『あれ? うちの墓どこやったかな?』って、めっちゃ迷うてんねん。

 

ほんま、どっちがご先祖様に失礼やっちゅうねんゆう話や!」

 

漫談おわり。

 

 

姪っ子がシャツの前をパタパタして、めっちゃ暑がってた。

 

「アイス食べる?」ときいたら、「うん」と答えたので、冷蔵庫から爽を出して、姪っ子にあげた。

 

姪っ子はまずフタをぺろぺろと入念になめておった。

 

そのあと、本体のほうを食べ始めた。

 

一口一口、かみしめるように、食べておった。

 

食べ終わってからも、じっとカップの底をみつめておった。

 

足りんのかな?と思ったので、「もう1個、食べる?」と聞いた。

 

そしたら、姪っ子、「いらん。おじちゃんのようなメタボになりたくない」と答えた。

 

失礼なガキである。

 

親の顔が見てみたいと思った。

 

 

夕方、タカシ君が妹たちを迎えに来た。

 

せっかくなので、いっしょに夕食を食べようゆうことになった。

 

出前が来る間、みんなでテレビみておったら、ニュースで「墓参り代行が活況」とゆう話題をやっとった。

 

番組にでてきた業者は、それはそれはめっちゃ丁寧な仕事ぶりであった。

 

妹がテレビを指さしながら、タカシ君に「みてみい。あんだけしてくれたら、ご先祖様も、めっちゃ喜ぶでえ」と言った。

 

するとタカシ君は「あほか。あれはテレビやから、あんだけしとんねん。カメラまわってへんかったら、めっちゃ手をぬいとるわい。墓石に腰かけて、一服とかしとるわい」と反論した。

 

妹が「するわけないやろ」と言うと、タカシ君は「よし、わかった。じゃあ、墓参り代行を頼もう。ほんで、あいつらがちゃんと仕事するかどうか、みんなで近くの物陰から隠れて、監視しよう」と提案した。

 

姪っ子が「それやったら、頼んだ意味ないやん」と、つっこむと、皆で大笑いとなった。

 

丁々発止で冗談を言い合う、妹たちを見て、僕はめっちゃうらやましくなった。

 

こういう家族っていいなあ、と思った。

 

自分は独身で、結婚の予定もないが、もし将来、家庭を持つことがあれば、妹たちみたいな楽しい家庭を作りたいなあと思った。

 

そして彼らと楽しい交流を末長くしたいなあと思った。

 

・・・が、しかし!

 

僕が「君ら、おもろいなあ。家族で今年のМー1に出たらどう?絶対、優勝するで」と冗談を飛ばしたところ、思わぬ反応が返ってきた。

 

「お義兄さん、あれは素人が出て、優勝できる大会やないんですよ。寒いこと言わんといてくださいよ」

 

「ごめんね。うちのお兄ちゃん、生まれてから、いっぺんも人を笑わしたことないから、お笑いをなめてるとこあるのよ」

 

「おじちゃんは人間クーラーやなあ。口をひらくと、部屋がめっちゃキンキンに冷えるわあ」

 

こ、こいつら、一家総出でフルボッコにしやがって・・。

 

前言撤回。妹一家とは、今後なるべく疎遠になろうと思った。

 

 

 

 

わが社のジャイアン

国民的アニメ「ドラえもん」にジャイアンという、ガキ大将が出てきます。

 

彼は「正しいのは、いつも俺」と豪語し、気に入らないことがあれば、すぐに暴力で脅しつけます。

 

ガンジーとは真逆の存在。ジャイアンはまさに「逆バンジー」ならぬ、「逆ガンジー」といっても、過言ではないでしょう。

 

しかし、ああいう困ったちゃんは、あくまでドラえもんの世界だけで、実際、そんなやつはいないよ、と思っていたのですが・・。

 

先日のことです。

 

高校野球の地区予選で、同僚のAさんとBさんの出身校同士が対戦することになりました。

 

AさんもBさんも、母校愛がとても溢れる人たちで、試合前から「勝つのは、わが校じゃい!」「なにをぬかすか! 勝つのは、ぜったいに、わが校じゃい!」と、バチバチにやりあっていました。

 

なぜかいっしょに観戦することになった僕は、あんまり考えることなく、かるーい気持ちで「どっちも応援しますよ!」と、二人に言いました。

 

これが、あとで、どえらいことになろうとは・・。

 

そのときの自分はまったく気づきませんでした。

 

「プレイボール!」

 

球審の掛け声と共に試合が始まりました。

 

1回表。いきなりAさんの高校にホームランが飛び出しました。

 

「やったやったー!」と、大喜びするAさん。

 

そんなAさんに対して、僕は「やりましたね」と声をかけました。

 

すると、Bさんが「おい! なに肩入れしとんじゃい!」と、怒りました。

 

「か、肩入れだなんて、ぼ、僕はちゃんと両チームを応援しますよ」と弁明すると、Bさんは、僕の胸ぐらをつかみ、こう怒鳴りました。

 

「ああん!? 今度、逆なでするようなこと、ぬかしたら、ただじゃおかねえぞ!」

 

1回裏。今度はBさんの高校が点を取り返しました。

 

「やったやったー!」と、大喜びするBさん。

 

そんなBさんに対して、僕は「よかったですね」と声をかけました。

 

すると、今度はAさんが、「おい! さっきの『やりましたね』は何やったんじゃい!? 俺をだましてたのかあ!?」と、ブチギレました。

 

「だ、だますだなんて、ぼ、僕は、ただ平等に応援しているだけで・・」と弁明すると、Aさんは、僕の胸ぐらをつかみ、こう怒鳴りました。

 

「ふざけんな! 今度、俺を裏切ったら、命はないと思え!」

 

以降、試合は、点を取られたら、取り返す、白熱したシーソーゲームになったのですが、僕はその間、一言も語らず、じーっとしておりました。

 

まるで、不祥事をおこした野球部のごとく、おとなしくして、すごしました。

 

わが社には、ジャイアンがいます。しかも二人もです。

 

のび太には、ドラえもんがいますが、僕にはいません。

 

未来から、カレがやってくるのを心から待ちわびる、今日この頃です。

 

 

 

今週のお題「SFといえば」

ムースってなんなん?

 

自分が好きだった給食のメニューは、なんといってもムースである。

 

牛乳のプリンというべきか、ゼリーというべきか、カテゴリーがよくわからない、謎のデザート。

 

味も甘いのか、甘くないのか、はっきりしない微妙な味わい。

 

安っぽい容器に、しょっぼいパッケージ。

 

・・とまあ、今にして思えば、なんであんな食べもんが好きやったんか、さっぱり理解不能だが、なぜか当時の僕は、ムースが給食に出るたびに、めちゃくちゃテンションが上がっておった。

 

僕は、大阪の堺市で育ったのだが、とにかく、小学校時代、このムースがしょっちゅう給食に出てきた。

 

揚げパンより、よっぽどハイペースで出てきたように思う。

 

あまりにしょっちゅう登場するので、クラスメイトの中には、「またか! おまえは、金曜ロードショーナウシカか!」と、ムースに向かって、ツッコんでいるヤツもおった。

 

閑話休題

 

さて、先日の事。会社の昼休み。同僚と雑談をしとったら、給食の話になった。

 

で、僕が「ムース、あれは最高でしたね~」みたいな話をしたところ、思いもよらない反応が返ってきた。

 

「アタシ、新潟ですけど、給食にムースが出てきたことはないですね。関西地方だけ出てたんじゃないですか?」

 

「うち、奈良やけど、ムースが出たこと、いっぺんもないで。大阪だけとちがう?」

 

「おれは大阪市やけど、ムースなんて出てきたこと1回もないわ」

 

えー!?であった。

 

僕は、ムースというのは、全国津々浦々、どこの小学校でもフツーに給食に出されている、定番のデザートだとばっかり、思っておったのだ。

 

まさか、あれを食わされてたん、堺っ子だけやったとは・・。

 

衝撃の事実に、がく然としておると、「ワシは河内長野で育ったけど、ムースが給食に出てきた記憶はないなあ」と、課長が会話に入ってきた。

 

僕が「課長の時代は、給食にどんなもんが出てました?」ときくと、課長は「そうやなあ。うーん」と、腕を組んで、しばし唸った後、こんなことをほざきよった。

 

「よくよく思い出したら、ワシの小学校、給食なかったわ。弁当持参やった」

 

僕は心の中で「おまえ、話に入ってくんな!」と、課長に思いっきりツッコんだ。

 

 

 

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ウルトラマンとハヤタ君


先日、会社のテレビで『アッコにおまかせ』をみていたら、「シン・ウルトラマン」の話題をやっとった。

 

すると同僚のA子さんが「これこないだ、息子といっしょにみてきたで」と言った。

 

僕が「どうでした?」ときいたら、A子さんは「斉藤工がめっちゃ男前やったわ~」と答えた。

 

「そういうことじゃなくて、中身ですよ。特撮シーンとか迫力ありました?」ときいたら、「しらんがな。私、息子がみたいゆうから、連れてっただけやし。ウルトラマンと怪獣のドッタンバッタンなんか1ミリも興味あれへんわ。私にとって、あの映画。斉藤工以外、ただの風景やった」と、答えた。

 

もしA子さんみたいな感想ばかり、ネットにあふれとったら、庵野秀明もさぞかし口あんぐりとなるであろう。

 

さて、A子さんの息子さんは現在、小学1年生でウルトラマンに夢中になっているそうだ。

 

右手にウルトラマンのフィギュア、左手に怪獣のフィギュアをもって、「ボカーン』「ズキューン」と遊んでいるそうだ。

 

自分も小1の頃、まったく同じ遊びをしておった。

 

当時の自分にとって、ウルトラマンはただのヒーローではなく、神様であった。

 

今、こうして平穏無事に暮らせているのは、ウルトラマンが地球を守っているおかげだと、本気でそう思っていた。

 

テレビの向こうの世界で起こっていることは、真実だと思い込んでおったのである。

 

そして、その盲信ゆえ、幼き僕は、大いなる不安と日々たたかっていた。

 

その不安というのは、もしも怪獣がうちの町に現れたら、どうしようということだ。

 

自分はめっちゃ鈍足なので、ぜったいに逃げ切れない。どこかに安全な隠れ場所はないか?何か策はないか?

 

日々、この問題に頭を悩ませていた。いくつもの眠れない夜を過ごしていた。

 

そんなある日、隣のクラスにハヤタ君という少年が存在することを知った。

 

ハヤタといえば、ウルトラマンに変身する科学特捜隊のハヤタ隊員と同じ苗字である。

 

僕はとっさに『この子、ウルトラマンの息子ではないか?」と思った。

 

ハヤタ君と仲良くしておけば、怪獣が現れたとしても、ウルトラマンは優先的に自分を助けてくれるかもしれない。

 

そのような計算が働いた。

 

僕はハヤタ君に近づくことにした。

 

彼のお気に入りになるため、僕はハヤタ君にコビを売る生活をはじめた。

 

ハヤタ君が下校時に荷物をもっていたら、「重そうだね。僕が少し持ってあげるよ」と親切を装った。

 

給食にプリンが出れば、「ハヤタ君。僕のプリンあげるよ」と献上した。

 

とにかく、ハヤタ君に気に入られよう、気に入られようと努力した。

 

このようなペコペコ生活をはじめてから、数日がたった、ある日のこと。

 

いつものようにテレビのウルトラマンをみていると、ゴモラという怪獣が現れて、なんと、大阪城を叩きこわしたのである。

 

大阪城といえば、先日、学校遠足で行ったばかりの場所である。

 

僕はパニックになって、台所の母に「お母ちゃん、大変や。大阪城が破壊されたでえ」と訴えた。

 

母は「えー!?」と仰天声を上げたが、僕がテレビを指差すと、「なんや。ウルトラマンの話かい。しょうもない」と吐き捨てた。

 

「なんでやねん。えらいこっちゃやんけ」と言うと、「あんなあ。あれはぬいぐるみのショーや。うそ話や」といった。

 

僕が「うそちゃうて」と言うと、「ほな言うけど、ほんまに怪獣が暴れまわってたら、ニュースや新聞で大々的に報じるやろ。いっこも報じてへんのは、おかしいやんけ。なあ」と母に言われた。

 

言われてみれば、そのとおりである。

 

からくりがわかった瞬間であった。

 

しかし、僕はウルトラマンが実在しないことにあまりショックをうけなかった。

 

それよりも、「怪獣に襲われたらどうしよう」という心配事がなくなり、ほっと胸をなでおろした。

 

なんや。怪獣はおらんのか。よかったよかった。

 

その晩は久しぶりにグッスリと安眠できた。

 

翌朝。登校と同時に隣のクラスに向かった僕は、ハヤタ君に会うや、開口一番こう言い放った。

 

「おい、ハヤタ。こないだのプリン返せ」

 

余りの態度の豹変ぶりに、ハヤタ君は口あんぐりとなっておった。

 

 

 

今週のお題「何して遊んだ?」

山口弁の英語の先生

中学時代の英語の先生は、山口県出身の人であった。

 

山口弁を思いっきり使う人であった。

 

「そねえな発音じゃあ、いけんちゃあ。ワシの口の動き、よう見んさい。ルックルックちゃあ」

 

「ここは必ず試験に出るけえのお。しっかり覚えちょきんさいよ」

 

「これからの時代、英語がしゃべれんと、社会に出て、笑われるけえのお」

 

とにかく、語尾に「ちゃあ」とか、「しんさい」とか、「けえのお」をやたらとつける人であった。

 

僕らは、先生のことをウラで「ヤマグチ」と呼んでおった。

 

さて、そんなある日の授業のこと。

 

ヤマグチが、金髪で青い目をした男の子を伴い、教室に入ってきた。

 

年の頃は、僕らと同じ中学生くらいの子供だ。

 

「外人やんけ。ヤマグチのやつ、外人の子供つれてきよったでえ」と、ざわつく教室。

 

ヤマグチが言った。

 

「今日はのお、お前らに本場の英語ちゅうんは、どんなもんなんか、教えてやるために、アメリカからの留学生を連れてきたんよ。しっかり学びんさいよ」

 

つづけて、「じゃあ、まずこの子にあいさつしてもらおうか」と、ヤマグチが留学生に英語で話しかけた。

 

ところが、思いもよらぬことが起きた。

 

留学生がヤマグチの英語に「What?」と返したのである。

 

「え?」とざわつく教室。

 

再び、留学生に英語で話しかけるヤマグチ。

 

すると留学生が再び、「What?」と返したのである。

 

英語の先生が話す英語が、アメリカ人に通じない。これほど痛快なことがあるだろうか?

 

教室中にドッと、笑い声が起きた。

 

額に汗をうかべながら、何度も、留学生に話しかけるヤマグチ。

 

しかし、何度も「What?」を繰り返す留学生。

 

教室は大爆笑の嵐。

 

そして、クラスメイトの一人が「先生の英語、全然、通じないじゃないっすかー」とヤジを飛ばしたとき、事件が起きた。

 

この一言にカッとなったヤマグチ。

 

なんと、留学生の首ねっこを左手でむんずとつかみ、ぐいっと引き寄せ、さらに右手で留学生の顔を指さしながら、僕らに向かって、こう言い放ったのである。

「こいつはのお、どうせテキサスとかユタの田舎もんじゃけえ、訛りくさった英語しか、わからんのんよお! ワシの英語は、ニューヨーク仕込みじゃけえのお!」

 

鬼の形相で吠えたヤマグチ。

 

それを見て、我々クラス一同は、心の中でこう思った。

 

「・・・ニューヨーカーが『じゃけえのお』なんて、言うかい」と。

 

 

そのあと、授業がどんなふうに進んだのか、残念ながら、記憶がない。

 

たぶん、あまりのイレギュラーな展開に、僕は気を失ったんだと思う。

 

さて、今回のお題「もしも英語を使えたら」であるが、僕は、英語を話せるならば、あの留学生に会って、あの日のことを聞いてみたい。

 

ヤマグチの英語は本当に通じなかったのか?

 

それとも単におちょくっていただけなのか?

 

首ねっこをつかまれたとき、どんなきもちだったか?

 

「わしゃ、ネコかい」と思ったか?

 

これらの質問をあの留学生に英語でぶつけてみたい。

 

それが僕の夢である。

 

ヤマグチに「しょうもない夢、持つなっちゃあ!」と、怒鳴られること必至の夢であるが・・。

 

ボロアパートの少年

18才の春。自分は大学進学に伴い、大阪市で一人暮らしをすることになった。

 

3月。部屋さがしのため、父と不動産屋に行った。

 

父は「男の子やから、セキュリティはどうでもええ。とにかく安い物件を紹介してくれ」と不動産屋に頼んだ。

 

すると「トイレ共同・フロなしでよければ1万5千円でありますよ」と紹介された。

 

「僕、トイレ長いから、他の住人に迷惑かけるかも」と言ったら、「それならば」と、トイレ付き・フロ無しで2万円の物件を紹介された。

 

「築40年ですけど、お手頃ですよ」と言うので、不動産屋の車で、見に行くことになった。

 

案の定、ボロアパートであった。

 

外階段がサビだらけで、ギシギシ音がするし、所々、壁にヒビが入っていた。

 

さすがの父も「ここはあかんな。強めの地震がきたら、おしまいや」と言った。

 

別の物件をさがそうとなった。

 

ところが、ちょうどそのタイミングで、親子3人(夫婦と小学3年生くらいの少年)が、階段を上がってきて、部屋に入っていった。

 

父が「あれ住人?」って聞いたら、不動産屋が「はい」と答えた。

 

すると、父が僕に向かって、「一家で暮らしてる人もおるんや。お前もここにせえ。ここより、ええ物件に住もうなんて、ぜいたくや」と言い出した。

 

「でも地震がきたら・・」と僕が言うと、「阪神大震災を乗り越えた物件や。大丈夫」と、さっきとは、180度ちがうことをぬかしおった。

 

で、その日のうちに契約し、僕の住処はあっさり決まった。

 

4月。新生活が始まった。

 

はじめての一人ぐらしという不安もあったが、しかし、それ以上の悩みが、当時の僕にはあった。

 

それはマンガ問題である。

 

自分はマンガが大好きで、高校時代まで、週に雑誌を何冊も購入しておった。

 

ところが、父に「学費と家賃は払ってやるが、それ以外は、自分で工面せえ」と、命令されたので、それが難しくなったのだ。

 

立ち読みで済ますか、古本屋で買うか、バイトがんばるか。

 

しばし、ずっと悩んでおった。

 

しかし、その悩みは、大学に通い始めて、あっというまに解消された。

 

というのも、電車で通学するうちに、雑誌の発売日には、車両の網棚や駅のゴミ箱に読み捨てられたジャンプやマガジンが、けっこうあることがわかったのだ。

 

それらを拾って、持ち帰り、読み終えたら、アパートのゴミ置き場に捨てる。

 

これが僕のルーティンとなった。

 

ところが、ある日、僕が捨てたジャンプを例の少年が、取って部屋に持って入るのを目撃した。

 

その光景を何度も見かけるようになった。

 

だから、僕は「なんやったら、いらんマンガ、部屋の前に置いとくから、勝手に持っていき」と少年に声をかけてみた。

 

すると、少年はうれしそうに、「うん」とうなづいた。

 

そっから、少年と言葉を交わすようになり、まあまあ仲良くなった。

 

 

ある日、僕がいつものように、駅のゴミ箱を漁っていると、誰かにケツを思いっきり蹴られた。

 

ふりむくと、少年が笑顔で立っておった。

 

そして開口一番、僕に向かって、「なんしとんねん!このビンボー人!」と吠えよった。

 

ビンボー人って・・。お前かて、あのボロアパート住んどるやんけ。いつも同じ服、着てるくせに・・。

 

「おまえに言われたないわ!」という言葉が喉元まで出かかった。

 

しかし、近くに少年の親の姿が見えたので、「おぼえとけ、いつか仕返ししたるからな」と、捨て台詞を吐いて、僕はその場を立ち去った。ケツをさすりながら。

 

 

実際、少年はいつも近鉄バファローズのトレーナーを着ておった。

 

最初は同じの何枚も持ってるのかなと思ったりもしたが、シミがいつも同じ場所についておったので、ははあん、これは、着たきりスズメやなと気づいた。

 

 

同じサークルの女の子に「子供の貧困ゆうんかな。うちのアパートにこんな子おるけど、どう思う?」と話しをしてみた。

 

すると、「最近は、そういう子が増えとるで」と言うので、「そうなん?」と聞いたら、「うん、うちにあるリカちゃん人形もずっと着たきりスズメやで」と、ぬかしおった。

 

まじめな話題をアホに話すんじゃなかったと後悔した。

 

 

それから夏休みに入り、僕が合宿免許に行ってる間に、少年の一家はどこかへ引っ越してしまった。

 

 

あれから、20年以上たつ。

 

たった4ヶ月、同じボロアパートで過ごしただけだが、僕はいまだにあの少年の笑顔と、ケツを蹴られた恨みを忘れずにはいられないのである。

 

 

 

今週のお題「引っ越し」