演劇ノンタス

雑記ブログ

花粉症テロリスト

大学時代、僕は某ショッピングモールの某書店でアルバイトをしていた。これは、ちょうど今くらいの、花粉症の季節の頃の話だ。

 

レジで座っていたら、店の外から、やたら大きな声の関西弁の会話が聞こえてきた。見れば、50代くらいの夫婦であった。二人とも同じような全身白づくめの服装、ずんぐりむっくりの体形で、しいて違いといえば、オッサンの方は丸坊主で、オバハンの方は短めのパーマをあてているくらいであった。

 

で、二人はこんな会話をかわしていた。

 

「私、ちょっと服を見てくるわー。冬物が安うなってるかもしれんからー」

「おお。そうか。いってこい。いってこい」

「アンタ、どうする?」

「わしは本屋で立ち読みしとくわ」

「けど、時間かかるかもしれんで」

「かめへん、かめへん。こんだけ本あったら、なんぼでも時間つぶせるわな」

「わかった。ほな、終わったら、ここくるわ」

「おお。立ち読みしまくったるわい」

 

堂々たる冷やかし宣言を店の前でぶちかましたオッサンは、堂々たる足取りで店の中に入ってきた。

 

まあ、書店というのは、何かを求めて訪れる客よりも、このオッサンのように、ふらーと入ってくる客の方が多いのである。なにげなく、手に取った1冊が意外とはまり、購入につながるケースも結構ある。だから、立ち読みや冷やかしも大歓迎、万引き以外、ウエルカム。

 

・・という事をこの書店で働き始めた際、店長に教わった。だから、このオッサンに対しても僕は温かく「いらっしゃいませー」と迎え入れた。

 

ところが、何事にも例外はあるという事を、この日はじめて知ることになる。

 

オッサンは、まず週刊誌のコーナーへ行った。じろーり見渡したあと、本日入荷したばかりの『フライデー』を手にとった。

 

そして、事件は起きた。なんと、オッサンは指をなめなめしながら、ページをめくりはじめたのである。

 

「おい。売りもんになに唾液つけてんだよ」と心の中で注意する僕。だが、けして声には出さない僕。当たり前だ。僕は何より、もめ事が苦手だし、ケンカもからきしだからだ。だから、黙認することにした。

 

ところが、その10秒後、もっとひどい展開となった。

 

なんと、オッサンが「ハクション!」と『フライデー』に向かって、ド派手にクシャミをかましたのである。(もちろん、現在のようなコロナ禍ではないので、オッサンはマスクはしていない)

 

「えー!」と目を丸くして驚く僕をよそに、オッサンは続けて「ハクション!」「ハクション!」「ハクション!」と3連発。

 

「あー。花粉症の季節は辛いわー」と独り言にしては、やたらデカい声で張り上げたオッサンは、その後、再び「ハクション!」「ハクション!」「ハクション!」と『フライデー』にクシャミをぶっかけたのである。

 

オッサンはその後も指をなめなめし、何ページかめくった後、『フライデー』をバサッと雑に棚に戻した。

 

ピカピカの1冊であった『フライデー』はオッサンの手により、わずか数分で、すっかり朽ち果てた姿と化した。

 

もしもこの1冊を『本屋で買ったばかりのピカピカの新品です。1度も目を通してません』というフレーズと共にヤフオクに出品したら、「てめえ、どこが新品だ! 唾液と鼻水でボロボロじゃねえか! 金返せ!」と落札者からクレームが来ること、100%である。

 

オッサンは次に『週刊文春』を手に取り、またもや、『指なめなめ→ページめくり→ハクション!→指なめなめ→ページめくり→ハクション!』と得意(?)の波状攻撃を繰り返した。

 

今や政界・芸能界を震え上がらせる『週刊文春』も、オッサンの前では形無しで、哀れ、『フライデー』に次ぐ、第2の犠牲者となった。

 

その後もオッサンは何冊か手にとっては同様の攻撃を繰り返し、わが書店は、週刊誌コーナーだけ、古書店へと化してしまった。

 

10分足らずで週刊誌コーナーを全滅させたオッサンは次にゴルフ雑誌コーナーへと向かった。そして、先ほどと同じ光景が再現された。

 

指なめえの、ページめくりいの、ハクション! ハクション! ハクション!

「あー、花粉症はたまらんのお」と大きな独り言。

指なめえの、ページめくりいの、ハクション! ハクション! ハクション!

 

店内に響き渡るクシャミの音で驚いたのか、パートの主婦A子さんがバックヤードから飛び出してきた。そして、オッサンを見るや、僕の所へ駆けつけ、こう言った。

 

「アンタ、何ぼーっとしてんのよ。注意してきなさいよ」

「注意って、何て言えばいいんすか?」

「『てめえが汚した雑誌、全部買い取れ』って言ってきなさいよ」

「そんなこと言えるわけないじゃないすか。A子さん、言ってきてくださいよ」

「逆上して殴ってきたらどうすんのよ。私、子供いるのよ」

「僕だって、時給700円で殴られたくないですよ」

「男でしょ。あれが女の客なら、私がいくわよ。さっさといきなさいよ」

 

A子さんにケツを蹴られた僕は、渋々、オッサンに注意しにいくことになった。

 

牛歩で1歩ずつ、オッサンに近づく僕。途中、1度立ち止まり、靴ヒモなど、ほどけていないのに、靴ヒモを結びなおす僕。

 

振り返ると、レジの中で、A子さんが「早くいけよ」と目で僕を追い立てていた。

 

仕方なく、立ちあがった僕が、再び牛歩のスピードで、オッサンの所へ向かいはじめると、書店の神様の助け舟か、救いの声が聞こえてきた。

 

「アンター、帰ろかー」

 

オッサンのヨメハンが戻ってきたのである。

 

「なんや、えらいはやかったやないか」

「それがな。私、花粉症やろ。服にくっしゃん、くっしゃんしとったら、露骨に眉ひそめた店員が『お客様、困ります』て、注意してきよってん。洗ったらしまいやないの!」

「なんや、その店員。ワシがそんなん言われたら、バコーンかましたんのに!」

「やめて。アンタ、また入ることなるで」

「それはカンニンや。ワハハハハハ」

 

 

派手な笑い声ともにオッサンはオバハンと共に店を去っていった。

 

あの二人は夫婦そろっての花粉症で、夫婦そろって、店の商品にクシャミをぶっかける、花粉症テロリストだったわけである。

 

もし、自分が牛歩もせず、靴ヒモも直さず、オッサンの所へ直進していたら、間違いなく、バコーンかまされていたわけである。そのバコーンがなんなのか、そして、オッサンがどこに入っていたのか、怖くてあまり考えたくないが、とにかく、僕は牛歩と靴ヒモを発明した人に思い切り感謝した。

 

不思議なもので、一度こういう体験すると、以降、少々面倒な客が来ても何ら動じることはなくなった。

 

雑誌をくくっているゴムを外して、堂々と立ち読みをはじめたおばさんを目撃しても、まあ、あのオッサンに比べれば、マシかと思えるようになった。

 

今はやりの言葉でいうと、あのオッサンは『ワクチン』であり、僕に免疫ができたのであろう。